解剖実習






2013年に兵庫医科大学で

解剖実習を受けて10年になりました。

だいぶ年季の入った老女性のご検体でしたが

筋肉から骨格、内臓まで・・・

脳を持った時の感触と重さは

忘れられないですね、

例えるモノが思いつかないですが

感動です。






今どき、YouTubeで

3D解剖もありますが

目で見るのと触るのとでは全然違うと思います。

医大生なら当たり前のことですが

僕ら民間療法からすると

貴重な体験を頂きましたね。




ここから治療も変化し

肉体のイメージがつかめ

深まった気がします。

この頃は、

とにかくいろんなセミナーに行ってて

情報収集と交流をしていましたが

そこから得るものは大きく

すべてが今に繋がっています。

もう人に教わる事はあまりないですが

(自分がやりたい人生に照らして)

経験というのは非常に甘美なもので

その一つ一つが血となり肉となって行くのでしょう。







僕らは一生を通じて

この身体が自分と思って過ごします。

たまに心が自分だと思う事もありますが

魂を感じる人はごくまれで

肉体・精神・魂のバランスを取って生きている人は

地球ではわずかだと思います。






この世にやって来た時

魂は非常に窮屈だと感じます。

想像もつかないくらいの軽やかさと自由を知っている魂が

重い肉体をゴロゴロ引きずるわけですから

それは当然ですよね。






だから赤ん坊は良く寝ます。

年齢と共に肉体を離れる時間は少なくなってきますが

それでも時折、

魂は肉体から離れてリフレッシュします、

それが睡眠です。





単に楽しむためもありますが

睡眠時間が短いのは

魂がリフレッシュする必要性の低さを物語っていて

それはその人が人生の課題に

しっかり向き合って生きているからなんですね。






もう肉体に戻らない時、

それは死と呼ばれますが

今世の課題がすべて完了したんです。

その時、

数十年共に過ごした朽ち果てた肉体を見る自分がいるでしょう。






そして

さらに大きな現実が展開し

意識が(想像もつかないほど)拡大し

無限に広がる宇宙と一つになり

本来の自分に戻って行きます。






本当の僕らとは

単にこの肉体ではなく

限りなく限りないとてつもないエネルギー、そのものです。






でも今は今で、楽しみましょう。

そういう俯瞰的な生命観があると

日常の不安や心配がちっぽけに見えますよ。

苦しむためではなく

自分を楽しむため、

経験するために来たんだと

思い出すんです。













日誌

前の記事

久留米
日誌

次の記事

休診日